Harunancha diary

ロボット系大学院生の活動の記録。

保育×

今日の学習発表会、りょうこの保育。

 

印象的なエピソードとして、きょうちゃん(5)。

 

きょうちゃんは、いつも遊びの時間はブロック遊びに夢中。

そして他の場面でも、気になることがあると目の前のことに対する意識が完全になくなり、そっちに行ってしまう。

靴に砂が入ってるのがいや、と靴の砂とるまで靴履けなくて動かない。みたいなこだわりも見せる。

 

この子に対し、ある保育者の方は、泥団子遊びを始め、子供を集めた。そしてきょうちゃんの注意を引く。これに対する反応によって、

・本当に好きでブロック遊びをしているのか

・他の子の遊びは気になるけどブロック遊びに落ち着いているのか

反応を見ることにしたらしい。

 

ここでは、保育士の方はすごく子供のことを色々考えて接してるんだなーと感心すると同時に、それを試してどうするんだろうという疑問が湧いた。

 

ここでは、ほっとくのも、関わる(泥遊びに対する反応を見る)も同等の選択肢のはずだ。

保育者がどんな行動を取るのかは、願望や目標に基づいてその選択肢に重みづけをした結果、決まるはず。

それってどうやって決めるんだろう。

 

ここでは、初めは汚い、と言いながら泥遊びを楽しんでいたらしい。

けど、それが正解だったのか。

それが全くわからないよなーと。

 

例えば、社交的な子に育って欲しいと思えば、色々な子と交わるようにする選択になるかもしれない。

けど、もともとその子はそれが得意ではなく、今のままにしておけば何かに秀でることになるかもしれない。

でも。でも、得意なことの伸ばされたとして、それが幸せにつながるかはわからない。

人並みに社交的なほうが平凡な生活を送れて幸せな可能性もあり。

今の時代ならなおさら、選択肢の重みづけに差をつけづらくなっていると思う。

 

今私は研究をしている。研究では、(というか何事も?でも研究では特に)その目的、またひとつの作業に対しても、なぜそれをやったかは重要とされる。

それらは、先人の積み重ねに対して置かれる必要がある。

 

でも保育の場合、教育の場合はどうだろう。

どう育つべきかなんて正解はない。全て同等の価値がある。

そしたら、やれることは結局、メカニズムを明らかにすることしかないんじゃないか。

明らかにしたところで、目的を与えることはない。

それを使って思い通りの人間を作る、また、そのために生まれてすぐ適性を判断するといったことは、できるかもしれないけどなんか不気味だ。

けど、その知見をもとに細かく教育基準を作ってしまっても同じことだ。

だから、すごく使いにくいものだなーと。

まあ、ロボットを作るヒントにはなろうが。

 

これは、どうすればいいんだろう。わからない。

でも不思議でおもしろいことは確かで。

今どれだけ理論的な研究がされているか知らないけど、もっと保育×は可能性がある気がする。

保育×AI(ロボット)、保育×社会、保育×アート。。。

 

ひとつわかったことは、正解は全っったくない。それを知れたことで、自分の子供は完全に保育者の方に預けられる。ということかも。

 

おまけ:

保育者のかたの資料?が手書きであるということを聞いて、GANとかで自分の手書きっぽいフォント作れるじゃんとか、単純な機械学習で特徴取れるかも、でもそしたら画のマッチングいるかなとか、盛り上がってました後ろで。

本末転倒技術だけどおもしろそう。印鑑捺印ロボットとかと違って笑