Harunancha diary

ロボット系大学院生の活動の記録。

20190822

日記です。

 

ふと思ったことも、日記として残していこうかなと思ったので書く。

 

今ふと、あかしゆかさんのブログを読んで思ったことを。

 

かしゆかさんのブログ

「今、目の前にいる人の背景を思う」

https://note.mu/akyska/n/n7d5844d1c375

 

引用の仕方とかわかんないし、スマホでできるのかもわかんないのでこのまま。

 

“「あ、今、何かしら頭の中で過去の出来事とリンクしたんだろうな」とか、「今は触れたくない話題だったのかもしれないな」とか、相手が生きている私の知り得ない世界が、会話の節々にパッと現れる──そういう瞬間が好きなのだ。”

 

 

これを読んでまず、

優しいというか、穏やかな人だなと思って。

そうやって相手の背景があることを意識していて、さらに、それを探るでも無視するでもなく、“眺める”みたいな感じ。

 

 

そこで次に思ったのが、「あれ、最近自分相手に様子見た記憶がないな」ってことで。

普段の生活だけでなく、最近大好きな高校の友達グループで遊んだときでさえも。

 

 

最近て書いたのは、少し前まではそういうのを“眺めて”いなくても、探ったり、無視したりはしていた気がするからだ。

いつからなんだろう。

 

 

自分のことでいっぱいいっぱいになってたからかな。もしかしたら、留学中に英語やドイツ語を話すことに一生懸命になって、言語ゲームをやってるみたいな感覚になってるのかもしれないな。それが難しいから視野が狭まって。

 

 

とにかくさ、あかしゆかさんが引用してる記事の中にもあるけど、

 

なんかあかしゆかさんが引用してた記事

https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001431.html

“コミュニケーションは能力ではなく、時間の流れや環境など、複数の要素があって成り立っているものです。そう考えないと、コミュニケーションがなにかなんて見えてこない気がします。”

 

 

コミュニケーションは能力じゃないってこと。ゲームじゃないってことね。

相手の様々な動きを眺めて楽しめるような人になりたい。

 

全然別件だけど、〜〜ような人になりたいて言うときの“人”って“状態”て意味だね。

どっち書くか迷って気づいた。「あ、イコールじゃん」て。まあもともと“人”だしね。

 

 

正解は“性質”って感じもするけど、性質+環境で“状態”てことで。

 

日記おわり。